雌が雄を喰うという習性(3)

同種のメスがオスを喰ってしまうという行動は、残酷かつ衝撃的に受け止められやすく、その毒性とともに、世間に注目されたことは、想像に難くありません。

まず、前回も述べたように、肉食の小動物にとって、自分以外の個体は敵か餌です。クモのオスも通常は共喰いをします。
個体群の中でのオスの役目は、メスに精子を受け渡すことで、生殖行動を全うすれぼ、残りのじ寿命はほとんどありません。大往生したとすれば、死骸はそのまま朽ち果てるか、蟻の餌になるだけです。メスに喰われて、次世代の栄養になることは、種の観点からは、オスの身体を有効に利用することになります。

同様のケースはカバキコマチグモのメスにも見られます。本種のメスは産卵後は卵嚢を保護して、子グモが卵嚢を出る(出廬)まで見届けます。出廬した子グモたちは母親を襲って、身体を喰ってしまいます。メスは抵抗も、なすがままに任せるそうです。
今のところ、コマチグモ属の他の種では、この習性は確認されていません。

この事例が報告された時には、世界のクモがくしゃは一様に驚いたといいます。中には、「異常例ではないか」と考えた学者もあったようです。

雌が雄を喰うという習性(2)

交尾期にメスがオスを喰うという習性では、カマキリが有名です。しばしば、「男の悲哀」として語られますね。
クモの場合も似た習性が認められますが、喰われるのは主に交接(注)後です。肉食動物の場合、近づく者は敵か餌なので、反射的攻撃するのは 自然な行動と言えます。

これを防ぐために、オスは自分が仲間であることをメスに知らせる信号を発するケースがあります。オニグモ類では、オスがメスの網の外縁で糸を弾きます。一定の波動でメスを安心させるのだと思います。メスが警戒を解いているわずかな間に、オスは役目を果たすのですが、ボヤボヤしていると、我に帰ったメスの餌食になってしまいます。ゴケグモ類の場合も、これに類したパターンと思われます。

ウェブスター英語辞典のwidow spiderの項に「交接後にオスを喰う」習性が紹介されているので、ゴケグモ類特有と誤解されますが、本属だけのことではありません。

一般に造網性のクモは視覚があまり発達していないので、振動を利用しますが、徘徊性のクモ、特にハエトリグモ類は視覚が発達しているので、俗に「クモのダンス」と言われる行動をとります。オスがメスの前で第1脚を広げて、様々な姿勢を見せ、メスもこれに答えます。いわば、ボデーランゲージですね。(未完)

(注)クモは生殖行動の際に、生殖器同士を接触することはしません。このため、「交尾」という用語はあまり使われません。
オスの触肢(触覚器および腕に相当する器官)の先は膨らんでいて、オスは予めここにせいえきを貯めて、ここからメスに受け渡しします。接触時間を短縮するためでしょう。
従って、オスの本来の外部生殖器には穴が二つあいているだけですが、触肢の先には、オサムシやザトウムシ、カタツムリの陰茎同様の複雑な構造が発達しています。

雌が雄を喰うという習性(1)

「『ゴケグモ』という名称は交接後にメスがオスを喰い殺す習性に由来する」という語源論が世間では流布しています。「『ゴケグモ』は女性蔑視」とする意見もここから出たのではないかと思います。

「メスがオスを殺して、結果的に“未亡人”になったから後家蜘蛛」という、回りくどい語源論は学界の定説というわけではありません。命名者や命名者から直接話を聞いた人の証言が残っているわけでもありませんので。1995年の「毒グモ騒動」の際に、語源説として紹介された一つが、あまりに面白かったので、マスコミに乗って広まったというのが実相です。

日本のクモ研究の第一人者、八木沼健夫氏が九州大学の平嶋義宏(昆虫学者、ラテン語・ギリシャ語に詳しい)・大熊千代子(クモ学者)両氏と共に編纂した『クモの学名と和名』では、“widow spiderの訳語”(73頁)としているだけで、その由来については触れていません。

語源の問題に関しては、別の機会に述べさせていただくとして、今回は、この一見ショッキングな習性について述べることにします。(未完)

ゴケグモに関する様々なテーマ

セアカゴケグモ等ゴケグモ類に関しては、国内でも様々な話題が出ています。
20数年前までの日本列島は「毒グモ」とは無縁の世界でした。1995年の降って湧いた「毒グモ騒動」以前に毒グモ(毒性が特に強いクモ)に関して十分な知識を持っていた国内のクモ学者は4人だけでした。

私を含めて、大多数の日本のクモ学者の認識は、
①海外には、時にヒトを死に至らしめるような強い毒を持ったクモが存在する(らしい)。
②そのような「毒グモ」の情報の中には、誇張や創作が混じっている例が多い。
の2点でした。はやく言えば、どのクモが本当に危険な毒グモで、どれがガセなのかの区別自体が理解されていませんでした。

1995年に、世間が一旦「こりゃ大変だ」と騒いで、直後に「毒グモなどは幻想だ」と冷えてしまったのもこのためです。研究者の多くも、行政担当者も、マスコミ関係者も多分に憶測でものを言っていたというのが「騒動」の実態です。また、クモ学者の中で楽観論を唱える人がありましたが、セアカゴケグモを②のケースと即断しているケースがほとんどです。

私は現在、以下のようなテーマを温めています。
・セアカゴケグモの毒性に地方差はあるか?
・日本国内で毒性は弱まるのか?セアカゴケグモは本当にオーストラリア原産か?
・日本列島にゴケグモ属の在来種はいるのか?
・1995年の「騒動」時は上陸何年目か?
・「ゴケグモ」という和名は女性蔑視か?
等々です。どうか御期待ください。

なお、煩雑になるのでブログ上ではロジックや出典を省略することがあります。詳細は研究誌上に小論文として発表していきますので、そちらも御案内します。

論争には飛入り歓迎です。新しいテーマを引っ提げて、参入してくださるのは、さらに大歓迎です。

住民が発見したクロゴケグモ

1995年11月に大阪府高石市でのセアカゴケグモ発見が報道されると、全国的に「毒グモ騒動」が広がりました。住民にとって、第一の関心事は、当然のことながら、「自分の身の回りにも毒グモはいるのではないだろうか?」だったことでしょう。

自治体等の公的機関が地域で調査を開始し、三重県四日市てもセアカゴケグモが発見されました。また、12月以降は横浜市その他でハイイロハゴケグモも見つかりました。

一方で、住民個人も周囲に注意を払ったであろうことは想像に難くありません。

岡山県の地方新聞『津山朝日新聞』は11月30日付で「毒グモでは?津山保健所へ通報」と報じました。セアカゴケグモの特徴である赤い斑紋は見られなかったということですし、続報もなかったので、無害な在来種を誤認したものと思われます。世間一般にはクモの種類がわかる人は少ないので、「クモを見たら
毒グモと思え」状態になったとしても、それはやむを得ないことだったと言えましょう。

しかし、滋賀県では瓢箪から駒が出ました。12月20日付の『京都新聞』と『毎日新聞』によると、坂田郡山東町(2005年以降は米原市)で「ゴケグモ属の一種」が発見されました。このクモは後にクロゴケグモと判明しました。日本列島初記録です。

見つかったのは農機具製造工場で、アメリカにトラックターを輸出し、戻って来た空のケースの中にいたそうです。とんだ「お移り」でした。

「毒グモ」報道がなかったら、見過ごされていたはずです。報道の加熱を苦々しく思う人も少なくなかったようですが、やはり事一般に実は知らされるべきだと思っています。

セアカゴケグモのオスの毒性は?

駒ヶ根市における長野県第3例目のセアカゴケグモ発見は、地元紙の『信濃毎日新聞』紙上にカラー写真付きで報道されました。

ここで注目されるのは、「おすは小さくて人をかめない」という記述です。これまで新聞紙上で、「毒があるのはメスだけ」という記述はしばしば見られましたが、このよう表現は初めて目にしました。実際のところ、ゴケグモ類のオスに毒はあるのでしょうか?

「『オスに毒はない』は誤り」と断言する研究者もおられました。実際にテストした例はないとも聞いています。

実験する人が現れないのは、特に応用部門の研究者にとって、この種の研究が生産性の低いものであることが考えられます。

メスと比べてはるかに小さなオスから毒腺を取り出すのは技術を要します。また、実験に使えるだけの分量を集めるのも手間がかかります。その上、結論はほぼ見えています。容易に予想できる「ゴケグモ類のオスに毒があったとしても、量が少なく、かつ牙がヒトの真皮に達しないため、害はない」が、「毒はあるが・・・」に変わるだけです。

これでは、労力と時間と費用、それに検体の生命を費やす意味が見いだせるかは疑問です。無論、事実を究明することには意義があると言えましょうが。

長野県のセアカゴケグモ

本年(2020年)の10月5日に長野県駒ヶ根市でセアカゴケグモが見つかりました。同県では3例目に当たります。

第1回目は2019年8月8日に飯田市で、2回目は同年12月20日、下伊那郡松川町でした。3市町とも、江戸時代までは「伊那郡」と呼ばれていた地域で、県の南端に位置します。地勢的に見て、東海地方から車両に付着して運ばれた可能性が大です。全国的には45番目の都道府県で、ゴケグモ類が全く見つかっていないのは、青森県と秋田県だけになりました。

発見数は1個体ずつで、続報は出ておらず、単発の侵入で定着はしていなかっものと思われます。その限りにおいては、「当面は長野県では根絶」と言ってよいでしょう。無論、今後、第4、第5の個体が入り込む可能性があり、根絶・侵入の繰り返しになりましょう。世に言う「いたちごっこ」です。いたちごっこの際限ない繰り返しは疲れるもので、「もういいや」と駆除を諦める人も出てきかねません。そうなったが最期、セアカゴケグモは定着してしまい、我々にとってもっと過酷ないたちごっこを延々続ける破目になります。この根比べに負けるわけには参りません。