ゴケグモ類の発見経過−毒グモ騒動−
セアカゴケグモなどのゴケグモ類の発見のきっかけは次のようです。
最初の1頭(雌)は、大阪府高石市高砂町の埋立地で、同地の工場に勤務されている竹田吉郎氏(大阪市立自然史博物館友の会会員)により、1995年9月11日に採集されました。竹田氏は見慣れないクモであることから、大阪市立自然史博物館に持ち込みました。対応した金沢は正体が分からず、70%アルコールで液浸標本にして、当時友の会副会長の西川喜朗氏に同定を依頼しました.西川氏はゴケグモの一種とすぐわかりましたが,液浸標本のためか,退色していて,斑紋が不明瞭であったので,種の同定をしばらく見送りました.西川氏が竹田氏に属名を報告し,2頭目の捕獲を依頼し,素手でさわらないように注意を伝えました.さらに10月9日に,最初の採集場所から800メートル離れた地点で,もう1頭の雌が竹田氏により採集され,金沢経由で西川氏の手に渡りました。2頭目は亜成体で、後に脱皮して成体となり、セアカゴケグモであることがわかりました.
同定結果を受けて,分布の現状を把握するために,日本蜘蛛学会と大阪市立自然史博物館友の会の有志により,11月15日と19日に調査が行われました。15日には雄1頭を含む4頭が、第一発見地に近い一般道の脇の塀のくぼみから発見されました。また、19日には、第一発見者の竹田氏とともに総勢10名で第一発見地の工場内及び周辺を探索したところ、建物の隅、道路の側溝内、ドブのふたの裏、コンクリートブロックのすき間などから、雌雄成体幼体あわせて約50頭、卵嚢約20個を採集しました。高砂町の埋め立て地内の広い範囲で確認したほか、本土側の高石市千代田2丁目の墓地周辺でも生息を確認し、墓石の花立ての横の数センチの縦のすき間等から約20頭が発見されました。
これらの調査の過程で、大阪湾沿いに広く分布している可能性が高いことがわかりました。住民の咬傷が心配されたので、多数の個体が発見される前の11月15・16日に西川氏が大阪府保健予防課・環境衛生課第一係に発見の経過メモをファクシミリで送付し,注意を喚起するとともに,早急に抗毒血清を準備していただくよう連絡しました。11月23日の産経新聞朝刊に初めて掲載され、24日の他紙朝刊にも大きく報道されて、いわゆる「毒グモ騒動」が起こりました。
日本全国で、毒グモ探しが行われ、短期間にセアカゴケグモ、ハイイロゴケグモ、クロゴケグモ、アカオビゴケグモの分布状態がわかり、その後、ツヤクロゴケグモが発見されたことにより、合計5種のゴケグモ類が日本に侵入していたことが判明しました。
ゴケグモ類の毒成分
ゴケグモ類を見つけたら
ゴケグモ類に咬まれたら